ハワイ*歴史

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ハワイ歴史についてハワイ諸島の誕生から現在までを5つの時代に分けて紹介していきます。

ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州で、 アメリカ合衆国の最南端部に位置しており8つの島々と130近くの小さな島や岩礁、距離にして1,500 マイル (2,400 km) に渡って伸びる環礁から成り立っています。

これらの島々は北西部から南東部順に、ニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ハワイ島から成り立っています。


●●●有史以前●●●

ーハワイ諸島の誕生ー
ハワイ諸島は約10万年前に火山活動によって生まれた島で地球の奥深くにあるホットスポット(マグマ溜まり)から噴出する溶岩によって形作られました。

現在は大きな8つの島と、130近くの小島や岩礁からなるハワイ州ですが、すべての島々が一度に誕生したわけではなく、ホットスポットの位置は動かず、地表のプレートだけがゆっくり北西方向へと移動しているため、島は西から東の順に生まれたと考えられます。

8島のなかでは約400万年前に最初に「カウアイ島」が誕生。
噴火は徐々に東へと移り、約10万年前、最後に東端に位置するビッグ・アイランド(ハワイ島)が生まれました。

現在もビッグ・アイランドのキラウエア火山では地殻活動が続いていて、噴火と小休止を絶えず繰り返しています。

活火山としての規模は世界最大であり、このエリアを含むハワイ火山国立公園は1987年に世界自然遺産に登録されました。

さらに、ビッグ・アイランドの東にある海底火山「ロイヒ」の活動も活発で、将来、噴出した溶岩が陸地として海面に現れ、新しい島を

灼熱の溶岩台地に生命が誕生し、動植物が定着し、やがて人間が住めるようになるまでには、何百万年もの歳月を要します。

ハワイとは、豊かに暮らす人々がいるその地下で、今もなお何年、何千年と火山が生き続けているという、希有な場所ということができます。

無人島だったハワイ諸島に、最初に人間が住み着いたのはマルケサス諸島からやってきたポリネシア人が最初の上陸者と伝えられています。

ハワイの神話に登場する小さくも強靱な肉体を持った「メネフネ族」こそが彼らであるという説もあります。

ブロンズ色の肌と、黒い大きな目、暗褐色の髪、がっちりした体格が特色のハワイの人達は、マーケサスやタヒチの人たちと同じくポリネシア人と呼ばれるグループに属しています。

このポリネシア人はアジアで発生した人類を先祖として、マレーシアからインドネシア、ミクロネシア、メラネシア、そしてタヒチへと移動していき、タヒチを中心に南はニュージーランド、東はイースター島、北はマーケサス島からハワイへと拡散していきました。

このポリネシアンと呼ばれる人々は、文字を持たなかったため記録として残されていたわけではありませんが、伝承口碑が多く残されていることに加えて、考古学者達の非常な努力でその類縁関係が立証されています。

類縁関係といえば、ハワイの原住者たちとニュージーランドのマオリ族、ソサエティー諸島の人々の間には、体格、体質、言語、習慣の上で密接なつながりがあることが分かっており、この島々をつなぐ巨大な三角形のなかに生き続けた人々は祖先を同じくする人々と言うべきだと考えられています。

その後、紀元1100年頃にタヒチ人が大量移住し、各島に分散。
身近にヘイアウ(神殿や祭壇)を作り、灌漑施設、養魚池などを作り、生活の基盤を整備しました。

畑から出た泥水は地下をくぐらせて海に流したり、飲料水を確保するため、川の上流部は立ち入り禁止にするなどして、できるだけ環境を破壊しないためのエコロジー的発想が、当たり前のものとして生活の中に根づいていました。

生活に必要なもの、助けてくれるもの、自然の力をアクア(神)として崇め宗教の対象としていました。神の恵みとして食物をいただき、薬草を採り、すべては神の宿る大地に再び返すことで、また恵みを得られるという考え方が、古代ハワイアンに浸透していました。

暮らしの面では、独自の土地分割システムを導入しました。
これは、ハワイの人々には、土地を所有するという観念がなく、土地は人々が生まれる前からあり、人々は死んで地に戻って行くが、土地はずっとそこにあるという考えから土地は人に属さないという信念があったため、ハワイの島々は島の中心から海岸線さらには海の中までパイを切るように扇状に分けていました。

この一つ一つは“モク”と呼ばれ、それぞれの王族がその土地を守る権利を与えられていて、王族はその土地を民と分かち合い、平民はその中で分業して暮らしていました。

そして、ポリネシア文化の影響下にあったかつてのハワイでは、古代のアジア諸国と同じく、森羅万象すべてのものに神が宿るという思想があり、戦の神「クー」、創造の神「カネ」、豊穣と収穫の神「ロノ」、海洋や暗闇を司る神「カナロア」の四大神をはじめ、さまざまな神が信仰の対象となっていて、人々は神に祈りや踊りを捧げることで、その霊力を生活の中に取り込もうとしていました。

また、ハワイのすべての人々は先祖が神であったとされています。
その中でも神へのつながりが強い(家族の歴史を後生に伝え続けた優秀な血筋)がアリイとして残り、アリイには神聖な“マナ”(spirit from the god)が受け継がれていると信じられていました。

そのアリイ(王族)の中で一番のチーフがアリイ・ヌイと呼ばれ最高の権力をもっていたのです。アリイと呼ばれる王族と、カフナと呼ばれる神官が構成する貴族社会があり、その下にマカアイナナ(平民)、そして一番下にカウバ(奴隷)がいました。

アリイの仲間の中からアリイ・ヌイと呼ばれる大王が選ばれ、それぞれの島にはそのアリイ・ヌイが1人または2人いて、支配体制を作っていました。

タヒチ・ハワイ間の往来が終わったのは13世紀頃と言われており、このころのハワイは権力争いで不安定でした。そこで作り出されたのが、たいへん厳しい階級制度の社会でした。この制度には、タブー(禁制)があり厳しい取り締まりの中で人々は生活していました。

例えば、ハワイアンの主食、ポイの原料であるタロ芋の畑は女人禁制でしたし、一定の種類の魚をある期間だけ一定量捕らえることは許されましたが、その他の魚を捕ることはタブーでした。

男女が同じ屋根の下で席を共にして食事することを禁止したり、アリイの影を踏んだだけで死刑に処せられるといったような事もありました。

ハワイのように極めて限られた天然資源の下に多数が生存を維持をするためには、どうしても環境保全の誓約や日々の暮らしの誓約、分業の確立などいろいろな形の誓約が必要となり、タブーという制度が作られたのです。

その一部を紹介すると古代ハワイの生活では、平民の男性たちの一日は、朝起きるとまず土を掘って作ったカマドに火をおこすことから始まります。このカマドは女性・子供用のもので、ここでタロ芋を蒸す作業が始まります。男たちはそれから別の男用のカマドに火を起こして、タロ芋を蒸す作業にかかります。

カマドのタロ芋が蒸し上がると、これをつぶして練り上げポイを作ります。
このポイがハワイの人々の主食です。

ハワイは多雨多湿の地域が多く、サツマイモの生育には最適ではない上にサツマイモは貯蔵も困難でしが、タロ芋は水田栽培なので雨が多くても問題なく、蒸してすりつぶし乾燥させると長期保存が可能でしたし、水で戻すとすぐ食べられる便利な主食だったのです。

男性たちは、朝一番にポイを作って女性と子供の暮らす建物に運んだあと男性専用の建物に行き、まず小屋の一隅に作られた神棚に置かれた木彫りの神像にポイを供えて、そして熟年に達した男子がその小屋で食事にかかります。

男女は住む小屋、食事を用意するカマド、食事をするところからして別々だったのです。

食事のあと男性たちは畑に出て働いたり、専門職の仕事をしたりし、女性たちは岩塩を集めたり、海草を採ったり、樹皮をたたいて作る衣類(タパあるいはカパ)やラウハウでカゴを作ったりして一日を過ごしました。

ところで、マルケサス諸島からハワイまでは3500キロもの距離があります。
タヒチからハワイまでは約4000キロ。

当時のポリネシア人たちはスターナビゲーション(星の位置を基準にした航海術)や、食料の保存備蓄術など、卓越した航海技術を持ち、小さな双胴のカヌーに乗り込んで海を渡ってきたといわれていますが、はたしてそんなことは本当に可能だったのでしょうか?

 それを証明するため、1975年、学者たちは航海に利用されていた当時のカヌーを復元した「ホクレア号」を製作し、ハワイからタヒチまでの実験航海を試みました。これが見事成功し、ポリネシア人たちの航海技術の高さが改めて証明されることになりました。


ー1778年ジェームズ・クック来航ー

1100年頃にポリネシアン人が移住してから数百年もの間、外界との接触がなかったハワイに、初めて西欧人として上陸したのがイギリス人の探検家ジェームズ・クック(キャプテン・クック)でした。

大西洋への北西航路の調査中にオアフ島、カウアイ島、ニイハウ島を発見したクックは、カウアイ島のワイメア湾に寄港します。

物々交換によって食料等を調達したのち、北への航海を続けましたが、北西航路の発見に失敗します。

翌年、再びハワイに戻り、ビッグ・アイランドに上陸すると、今度は意外にも島民たちの絶大な歓迎を受けることになります。

これはちょうど上陸した日が祭りの最中であったこと、島を時計回りにケアラケクア湾(神の道の意味)に入港したこと…など、たまたま偶然が重なり、「クック=島に伝わる神・ロノの化身」と勘違いされたためだったようです。

クックは、鉄や火薬を使った武器をはじめとする西欧文明の伝来、天然痘、百日咳、はしかなど疫病の蔓延による人口の減少など、その後のハワイに大きな影響をもたらました。

島民たちに歓迎されて上陸したクックでしたが、徐々に島民との間にいさかいが増え、ついには流血の争いが勃発し1779年、ハワイ島ケアラケクア湾で殺害されてしまいます。 

また、生き残った船員たちが海図を持ち帰ったことも、その後イギリス、フランス、スペインといった多くの外国船がハワイを訪れるきっかけになりました。アメリカ人は捕鯨の拠点として目をつけ、ハワイに上陸し、富を得ました。さらに、宣教師も海を渡り、ハワイで英語を広めていきます。


●●●ハワイ王朝時代●●●

クックが来航するまでのハワイは、数多くの首長が存在し、権力争いを繰り返しながら各地を分割統治していましたが、1775年にハワイ島の王となったカメハメハが全島統一へと乗りだしたのを機に、1810年「ハワイ王朝」が誕生しました。

1795年にカメハメハがハワイ全島の支配のためマウイ島の攻略を開始し、間もなくマウイ島、モロカイ島を手中に収めオアフ島に上陸したカメハメハ軍は激しい戦闘を続けた後、現在では観光名所となっているヌウアヌ・パリの戦いで勝利してカウアイ島を除くハワイ全島を支配下に置いたのです。

また統一の成功の陰には、クックがもたらした西欧文明が大きく影響していたともいわれています。カメハメハはクックとの接触をきっかけに、西欧の最新武器を取り寄せ、すでに植民地支配の経験を持っていたヨーロッパ人の戦い方に深い興味を抱き、英国人のジョージ・バンクーバーを参謀として起用。

西欧の戦術を導入することにより島内の対抗勢力を制圧するに致りました。

カメハメハは大王となり、ハワイ王朝が始まります。
やがてカウアイ島も統治され、ハワイ諸島はカメハメハ大王による中央集権的な王政社会の誕生と欧米諸国とのかかわりの中で激しい変革の時代を迎えていきます。また父子相伝で継承されるべき王位をめぐり、時には王族同士の間で戦いが展開されました。

アリイ・ヌイを目指すアリイは王族の中から味方を集め、それぞれの王族支配下の平民も加えられ、大集団を作って戦いました。
戦闘は主として投石で始まり、木槍、石鎚で殴り合うような戦闘が繰り広げられました。

こうして頭角を現し、後にハワイを統一したのがカメハメハ大王だったのです。
カメハメハ王はハワイ島出身、腕力と知性に優れ次々と他のアリイを打ち負かし、自らアリイ・ヌイとなりハワイ島の支配者になりました。

その後、カメハメハはサトウキビやサンダルウッド(白檀)の輸出など、国内産業の発展に尽力するものの、輸出相場の変動、外国人のもたらした疫病の蔓延などにより、国力は徐々に低下しました。
そして、わずか84年後にはハワイ王朝は終焉を迎えることになります。

1795  カメハメハ1世(大王)ハワイ島を統一し、ハワイ王国樹立を宣言

1810  カウアイ島恭順、ハワイ諸島統一完了

1817  カメハメハ大王没 リホリホ王即位(カメハメハ2世)

1820  カメハメハ王の死後、長男が二世として王位を継ぐが
王政のタブーが次第に廃止され、カナフ(神官)の存在が否定され、
秩序や風俗が混乱宗教的空白にボストンからキリスト教宣教師団上陸

1824  リホリホ、ロンドンで麻疹により客死弟カウケアオウリ即位(カメハメハ3世)
      実権はカメハメハの妃の1人であったカアフマヌ摂政に

1825  カアフマヌ、ペレ否定、宣教師たちの時代へ1831までに
5万人の先住民が告発された
      (全人口の2/5)さとうきびプランテーション、文化破壊進行、伝染病蔓延
      
カメハメハ3世の時代
      ハワイ王室の庇護の下キリスト教が急速に浸透
      ハワイ語のアルファベット化
      ハワイ語の聖書が出版
      ヨーロッパ式の政治制度導入により多くの白人が政府に加わる。     

1840  憲法発布
      土地改革(土地の所有、財産とみなす価値観が登場)
      サトウキビのプランテーション産業が急速に発展

1852  ハワイ有力産業の砂糖プランテーション経営者が
海外から労働力の導入として移民の受け入れを行う。

1854  カメハメハ1世の孫、アレキサンダーリホリホが4世に

1863  弟ロッドカメハメハが5世に

1866  マーク・トウェイン来布。「Letter from Hawaii」執筆

1868  ハワイ人の人口激減対策で日本より無許可移民「元年者」渡布
       (明治元年)日本から初めてハワイへ移民が行われた。
      砂糖資本の政治支配が進む中、王政は白人勢力により剥奪。

1872  カメハメハ王家の血筋断絶

1873  ルナリロ王即位(議会で選出)

1874  デビッドカラカウア王即位
      砂糖産業を発展させ、大量の移民労働者を呼び寄せる
  
1881  カラカウア王世界周遊。
      日本にも立寄、明治天皇と会見。移民要請、婚姻要請

1885  日本より官約移民開始

1891  リリウオカラニ女王は王権の拡大を計り、1893年に
新憲法を発布すると発表しますが、これをめぐってアメリカ系白人勢力と
ハワイアン勢力の間で緊張が高まりイオラニ宮殿でクーデター勃発
   
1893  リリウオカラニ女王幽閉、ハワイ暫定政府成立   (明治26年)ハワイ王朝は終焉
 
●●●ハワイ共和国●●●

1894  ハワイ共和国成立(ドール大統領)  
観光保養地としての再開発開始(法律61号成立)

1898  アメリカ合衆国、ハワイ併合

1898  スペイン・アメリカ戦争で軍事的重要性が認められて
連邦会議の採決で正式に(明治31年)アメリカ領土となる。      

●●●アメリカ領時代●●●

1901  モアナホテル完成  アラワイ運河を掘削した土砂でワイキキを埋め立て 

1903  ハワイ宣伝委員会(のちのツーリストビューロー)設立

1925  マティソン汽船(マロロ号)就航  
ロイヤルハワイアンホテル(ピンクパレス)完成
      ハワイ観光地化本格化

1935  ハワイコール(ラジオ)開始。影響大  軍事基地ハワイとしての軍需景気

1941  日本軍の真珠湾攻撃で第2次世界大戦勃発
      日系人たちへの身柄拘束などがあるも日系2世を中心とした第100連隊、
      第442連隊のヨーロッパ戦線での活躍によって、戦後日系人のハワイでの社会的地位は飛躍的な向上を遂げる

1945  太平洋戦争終結。軍需景気の後退と共に、さらなる観光化、大衆化


●●●ハワイ州●●●
      
1959  戦後のハワイは、人口、生産、所得とも驚異的進展をみ、
新時代に向かう(昭和34年)アイゼンハワー大統領の布告、
署名により正式にアメリカの第50番目の州となる。
      ジェット機就航 アラモアナ・センターがオープン

1976  ホクレア号第1回タヒチ航海

1980  日本人観光客急増

1987  ハワイ火山国立公園 世界遺産に登録

1993  ハワイ王朝転覆100周年記念式典
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